孤影悄然

一般的若者が書いている無責任なブログです。

閃きとお風呂

 久々にゆっくりと湯船に浸かり、そして改めてお風呂の偉大さを実感した。現代人が裸になる機会なんてお風呂に入る時くらいだろう。幸せに無防備な自分を曝け出す事が出来る唯一の時間だ。何も不安に思わず入浴できる事を心から幸せに思う。

 そして更に幸せな事に入浴中はアイデアが無尽蔵に湧いて出てくる幸せな時間でもある。僕はずっと「お風呂と閃き」の関係性が気になっていた。(まあ、そんな事よりも出てきたアイデアの方が重要だったから気にはなっていたが放置していた。)この関係性について大真面目に解説、考察している本は無いかとAmazonで「お風呂 閃き」と頭の悪いワードで検索をしてみたが妙な自己啓発とアハ体験さんの本くらいしかヒットせずげんなりしていた。ので、自分で考えてみた。というか、お風呂で思いついた。

 お風呂という場はノイズが本当に少ない。スマートフォンを持ち込まない限り、現代人の殆どが依存しているSNSを物理的に断てる。他人の声も聞こえない。テレビは無いし、本だって読めない、ゲームもできない。となると、残るノイズは自我のみで現代人が純粋に自分と向き合う唯一の時間と言っても良いんじゃないかと勝手に思った。勿論、自分と向き合う時間なんてお風呂以外にも取ろうと思えば幾らでも取れる。ただ、お風呂タイムとそれらの時間には歴然とした違いがある。それは「緊張」の有無だ。お風呂という場はこの「緊張」という大変厄介なノイズさえも消してくれる。自分自身と向き合う時、自分の場合、心身のどちらか、または両方が緊張している事が多い。この緊張は本当に厄介でこの緊張の所為で思考が上手くまとまらないとか、自己否定的になってしまうとか、もう考えてる場合じゃない、つらい、となってしまう。だが、お風呂でこうはならない。血行が良くなって気持ちよくなってきて気分も楽になってくる。その状態になる事で程よく心身がテキトーになって思考をせき止めている何かが少し緩む。そして、閃く。さあ、忘れない内にメモをするなり、スケッチしたり、五線譜におたまじゃくしを置いたりしよう。

 「風呂は命の洗濯よ」と某アニメでサービスさんが言っていたが、きっとあの言葉は正しいんだろう。ただ、その某アニメの監督は風呂嫌いらしい。はて。もしかすると僕は騙されているのかもしれない。疑心暗鬼になるのも無理はない。何故なら今はお風呂に入っていないからだ。