孤影悄然

一般的若者が書いている無責任なブログです。

名前しか分からない覚えていない人たち

アドレス帳を眺めていると名前を見ても誰だか分からない名前がちらほらとあり、人間は使わない情報は必要ないと判断して忘れてしまう、というのは本当だったんだな、と思いつつ、人間は全ての情報を記憶していて何かきっかけがあればそれを思い出す、という話も聞いたことがあって、人間の記憶というのは多分、とても曖昧なものなんだろうという結論を僕は勝手に出した。本当に忘れているだけなのかもしれないし、単にきっかけ、つまり、まだトリガーが引かれていない状態なのかもしれない。その名前しか分からない覚えていない人たちに連絡を取ってしまえばトリガーは引かれ、全てを思い出してしまう様な気もするが、それは相手側に迷惑をかけてしまいそうなのでやめておこう、という当たり前の理由でトリガーは引かれる事なく、登録されている名前しか分からない覚えていない人たちは永遠に僕の記憶から消え去ってしまうのであった。めでたし、めでたし。ではない。折角だから書きながら色々と考えてみる。僕は"ガラケー"世代でガラケーのアドレス交換は今ほどお手軽では無かった。更に僕みたいな人種は社交性なんてものは持っておらず、当時の僕にとってアドレスを交換するという行為は結構ハードルが高かった。僕だけだったのか、それとも皆がそうだったのかは良く分からないが、当時のアドレスを交換する、というのは「あなたと不定期的にお話がしたい」という意思表示だった。今はLINEが主流でガラケーと違って気負うことなくIDを教えあって自分の友達リストに登録できる。いやいや、ガラケーだって赤外線通信でLINEと同じように連絡先を交換できたじゃないか、どっちも一緒じゃないか、と書きながら思ったが、LINEとメールの決定的な違いはリアルタイム性である。いやいや、メールでチャットの如くお互いメールしあって「Re:Re:Re:Re:Re:Re:」となったのはいい思い出じゃないか、あれにもリアルタイム性を感じたよ、とも僕は思ったが、LINEとメールは根本的に違うのだ。何かが違う。この辺りに関しては先人達が議論し尽している様な気もするが、ここまで書いて僕は「その議論に一体何の意味があったのか」という事しか頭の中には残っていなかった。要するに「あなたと話したい」と意思表示をした、またはされた相手を僕は完全に忘れているという事になる。もしかしたら、打ち上げとか懇親会の"流れ"で連絡先を交換した、とか、そもそもネット経由で知り合った人で、とか、学校、塾、とかそういった定期的に訪れる場所ではなく何処かで出会って意気投合して「今後も良かったらお話しましょう」みたいな流れでアドレスを交換したのかもしれないが、僕にそんな度胸があったとは思えない。これらの疑問はその名前しか分からない覚えていない人たちに連絡を取ってしまえばトリガーは引かれ、全てを思い出してしまう様な気もするが、それは相手側に迷惑をかけてしまいそうなのでやめておこう。名前しか分からない彼らが元気しているなら、そうだと良いな、と願いながら僕はアドレス帳から彼らの名前を削除していった。